非電化亜幹線の無煙化のため1957年(昭和32年)に先行試作車が製造され、1963年(昭和38)年まで138両製造された国鉄のディーゼル機関車。当時は液体変速機の技術が未熟であったため、発電用のディーゼルエンジンと駆動用のモーターを搭載した電気式が採用された。亜幹線での長距離運用が可能な最初の実用的ディーゼル機関車で、北海道を除く全国各地の非電化亜幹線と一部非電化幹線で特急列車から貨物列車まで幅広く運用された。特にトンネルの多い路線では、蒸気機関車の煤煙から解放される無煙化の効果が大きく、旅客・乗務員の双方から好評を得たそうだ。しかしその後電化が進んだり、DD51などに置き換えられたりなどして運用域は狭まり、最後まで主力車として残った四国でも、1981年10月に定期旅客運用から外され、同時にMAN型の500番台が全廃された。1983年9月には貨物運用も完全になくなり、1983年9月25日に運転された、臨時急行列車「サヨナラDF50土佐路号」をDF50 1+DF50 65の重連で牽引したのを最後に引退。1985年1月21日付けで、最終貨物列車を牽引したDF50 34が廃車されたのを最後に、3両の保存機を除いて完全に姿を消した。写真の1号機は廃車後、解体されることなく国鉄多度津工場に保管され、1983年に準鉄道記念物に指定された。そして1987年に車籍復帰し、四国旅客鉄道(JR四国)多度津工場に保存されていたが、2007年10月13日の展示を最後に伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館へ搬入され(この頃にはエンジントラブルが続出、工場内の運転もままならなかった)、同年11月26日より展示公開されている。車籍はあるが一般路線を走ることは無いだろう。
DE50形(0番台)車両説明
全長16,400mm全高3,987mm
全幅2,932mm軌間1,067mm
最高速度90km/h軸配置B-B-B
連続定格出力1060PS/800rpm一時間定格出力1200PS
重量(夏)81.2t重量(冬)85.1t

記念はがき。 DF50を見学した人全員に配られた。これが、多度津工場での最後の展示であった。